×

[PR]この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。

私と空手 その1

1 いじめ

小学校低学年の時、終戦直後でしたので物が無い頃で、母が加工した洋服
を着せられていました。
みんなと違う洋服を着ていることが気になって、その洋服が気に入らず、
母にたびたび文句を言いましたら、ある時、母にきつく言われたことがあ
るのです。
「男は着るものなんかに文句を言うものではない。中身で勝負しなさい。」
と。その時は、とても不満に思いましたが、根が単純でしたので、段々そんな
ものかと思うようになり、その後、着る物には、全く気を使わないようにな
ってしまったのです。(もともと不精だったせいもあると思います)
ですから、多感な思春期の頃も、着る物に気を配った覚えは全くありません。

では、中身の方はどうかと言えば、話し下手で、人と話しをすれば赤面
するし、考えを上手に表現出来ません。更に、社交性はなし、小太りだった
ので体育は苦手だし・・・、とても世間で勝負できる状況ではないと感じて
いました。
それで、心の中では、ずっーと、何とかしなければと考え続けており、
そのためには、何か厳しいスポーツをして、自分の根性を叩きなおさねばと思
うようになっていました。

また、私は本当は4月の初めに生まれのですが、生まれた時に体が大きかった
ので両親が少しでも早く成長させたかったのでしょうか、3/28に生まれた
こととして届けられたそうです。
お陰で、小学一年の時、同級生に比べて、体だけは大きいけど子供っぽかった
ようです。(いま、思い出しても、そう思うし・・・、自分に自信を持てなかった
原因でもあると思います)
それで、クラスのFと言う暴れん坊にしばらくいじめられました。
ある時、我慢できずに反撃したのをきっかけに、彼のいじめはなくなりま
すが・・・。

このいじめに逢ったことで、更に強いことにあこがれるようになったかも知
れません。
この時のFとは中学三年で、また一緒になりますが、その時は私の方が
大きかったし、体力も付いていましたので、恐いことはありませんでした。
また、彼は、後にジャイアント馬場の一番の親友になります。
(その辺はG.馬場のその2で書きます)

また、Fとは後日談がありまして、彼は、同級会屋と言われるほど、同級会が
好きで、街で会うと必ず「外山、同級会やろうや・・・。」と声を掛けて来る
のですが、多分、同級生みんなに同じように話しかけていたと思います。
それだけ、みんなに知られていて、誰にでも声を掛ける人気者でもありました。

今から、しばらく前の50歳ころの中学三年生の同級会の時のことです。
みんなで近くの温泉に泊りがけで出かけましたが、Fと同室で6人ほどで、
寝る前の一時を布団の中で話をしていた時のことです。
Fが「今の子供たちは、いじめがあって大変だよなあ。俺達の頃には、いじ
めなんてなかったよなあ。」と言います。
私は、はじめは聞き流していたんですが、彼が何度も繰り返して言いますので、
つい、我慢出来なくなって「お前、そんなかっこいいことを言うなよ。俺は
お前にいじめらたよ・・。」
「俺はいじめていない。」
「何行ってんだ。いじめられた本人が言っているんだから間違いないだろう。」
などの会話がありました。
この時は、万が一喧嘩になっても、酒の勢いもありましたが私の方が遥かに
強いという自信がありましたので、私はそのまま寝てしまいました。
彼は、恐らく、寝つきが悪かったと思います。

2 高校では柔道部

私にも同じ町内に一年上の従兄弟がいて、ほとんど兄弟のように育ちましたが、
彼と二人で、中学生の頃に、柔道をして強くなりたいと話していました。
彼は高校へ入るとすぐ柔道部に入り、私も1年後、入学と同時にに入部しました。

ところが、理想は高いのですが、本来の怠け者ですから練習はサボって
ばかりいましたので、強くなるはづはなく、いつも、心にわだかまりを持って
いました。
この柔道部が大変民主的?な運動部で・・、いくら休んでも、文句言われな
かったので、余計に、サボってばかりいたのですが、これをとても反省して
いました。(ただ、初段にはなりました・・)

高校時代少しの期間、文学少年をしましたが、その時読んだドストェフスキー
の「白痴」という小説に、確か「凡人とは、自分が平凡だと知っていて、何と
かしなければならないと思いながら、何も出来ない人のことである。」と書い
てあったのですが、当時、正に俺のことのようだと自問したものでした。

3 大学で空手部を選んだ理由

自分では、これでは駄目だと思っていたので、大学へ行ったら、サボったら
リンチを受けるくらいな恐い運動部に入り、そこで徹底的に鍛えてもらわな
いと、男として、あまりに情けないと考え、当時、まだ、神秘的な雰囲気が
あり、運動部では一番恐そうな空手部に入ることにしました。
親は家業を継ぐのに大学は必要ないと言いましたが、本来、私は理系だった
ので工学部を選びました。ただ、本当は学部はどこでもよく、兎に角、
空手部のある大学へ行きたくて、入学案内書では工学部の他には、そればか
り調べて学校を選びました。

4 大学の空手部生活

武蔵工大へ入ったら、直ぐ、空手部の練習場へ行ったのですが、丁度、4年生
が3年生を叱っているところでして、胸座を掴んで、壁際に押し付けて、
「この野郎。そんな積もりでお前らに空手を教えているんじゃないぞ。」
と言いながら怒鳴りつけているところでした。
怖そうな先輩を見て、ちょっと、ビビリましたが、いや、俺は根がアマいから、
これくらいが丁度良いんだと思ったものでした。
そして、どうせ大学を出ても家業の金物屋を継ぐんだからと、都合の良い理由
を付けて勉強そっちのけで、空手ばかりしていたのです。

学業の方は、2年までの教養過程は、高校時代の延長線上の勉強でしたので
サボっても、試験の前の一夜漬けで、そこそこ良い点を取りましたが、
(成績表を取ったら、クラスでも上位でした)それで、甘く見たために、専門
課程になってから付けが回ってきて、試験の度にみじめな思いをしました。
専門課程は初めて習うものばかりですから、一夜漬けをしようとして、教科書
を読んでも、さっぱり意味が解らないのです。
そんな訳で、生まれて初めて白紙の答案を出したのですが、これがよほど、
屈辱だったようで、40歳頃まで、よく、白紙答案を前にして苦しんでいる夢を
見ました。(自業自得)

1年生の時には、大学間の試合はなく、懇意な大学の空手部と交歓練習をして
おり、武蔵工大は以前から青山学院と交流していて、その年は青学を訪れまし
た。
青学で稽古着に着替えて、少し緊張して体育館にいたら、後ろから
「のぼーちゃん。」と私の子供の時の呼び方をする者がいます。
驚いて振り向いたら、同じ町内で育った同じ年の、幼なじみのTが青学の
空手着を着て立っているんです。

三条高校へ同じ町内で入った同じ年の者が彼と私のもう一人の三人いて、
高校時代、毎日誘い合って一緒に通学しており、そのTが青学へ入ったことは
知っていましたが、まさか空手部へ入るとは思ってもいなかったのです。
そもそも、3年間毎日一緒に通学していながら、空手について話したことも
無かったし、当然、大学で空手部に入るなどの話をしたこともなかったのです。
(ただ、彼も高校では柔道部でしたので、潜在的な可能性はあったかのも知れ
ません)
それが、なんと武蔵工大が交歓練習をするたった1校の相手の学校の空手部
に入っていたのです。
彼も私を見てびっくりしたと言っていました。

武蔵工大では1年生で入部した時、同期の者が15名以上いましたが、最後
まで残ったのは6名で、その中で私が練習を一番熱心だったためか(何しろ、
勉強しないで、練習ばかりしていたので・・・)、3年生後期には主将に指名
されました。
早速、青学のTに「主将になりました。」と葉書を出したところ(宿には電話
が無い頃でした)、すぐ折り返し葉書で返事が来て、
「私も主将になりました。」
と書いてあるのです。これもあまりの偶然に驚いたものです。
なお,その頃、青学の空手部の彼の後輩がスカウトされて俳優になったと
聞いていましたが、それが渡哲也です。


5 あだ名

これは空手部とは直接関係がありませんが、私のあだ名に付いて
書きます。
大学へ入ったら、すぐ、寮に入りましたが、その寮は二子寮と言
って、その年に出来た(学校が購入した)ばかりの寮で、二子玉川
園の遊園地の隣にありました。
古い建物でしたが、一階と二階に大き目の12畳くらいの部屋が
8室あり、全部で30数人の寮生がいました。
出来たばかりの寮でしたので、寮長一人が二年生で、それ以外の
全員が1年の新入生で、一部屋に4人平均で生活していました。

私の身長は、176センチですが当時としては大きい方で(寮生
で私より大きいのは一人だけでした)、入学と同時に空手部に入
って夜遅くまで練習して来るし、食堂でご飯が余っていたら、お
かずがなくても醤油を掛けて食べるとか、懇親会の時には飲みす
ぎて倒れる者が多いなかで、最後までシャンとしていて、酔っ払
った人の手当てをしましたし、高校時代に柔道をした者が私の他
に二人居ましたが、その中では、私が一番強かったとか・・・、
田舎から上京したばかりの若者達に取って、そんな私がバンカラ
なゴツイ人種に見られたようなのです。
付けられたあだ名が、丁度公開されたばかりの怪獣映画のゴジラ
だったのです。
今、ハンドルに名乗っているのは、そういう由緒ある(?)名前で
す。
ただ、私をゴジラと呼ぶ人は、この寮生だけでして、例えば大学の同級生にも、空手部にも、他にはおりません。
本来は、紳士であるからです。(?)
この項は、番外編でした。

6 試合

空手は、それまでは、武道としての面が強く、試合は難しいと思われており、
学校対抗の試合は一部の大学間でしか行われていませんでしたが、2年生の時に、
主に、日大、慶応、拓大、東大(当時は東大も強かったのです)などが
中心になって、流派に関係なく全国の大学を統括した試合が計画されました。
そして、私が2年生の時に、始めて全国規模の大学対抗試合が行われました。

まず、第一回の関東選手権と、全国選手権大会が行われ、当校も4年生2名、
3年生1名、2年生2名で5名の団体戦に出場しましたが、私は2年生の
1人として参加し、1回戦では、確か芝浦工大に勝って、2回戦で日大に
負けます。
この時の日大との試合で、当時の主将のNさんが相手に寸止めをしないで
何回か当ててしまいました。これが因縁で、次の年の三位決定戦での日大
戦で、仲間が大怪我をすることになるのです。

その後、学校での練習を試合向きに替え、試合に勝つような練習をして、
3年の時には,第二回目の関東選手権大会に4年生1人、3年生4人で出場
します。
今度は何故か、どんどん勝ち進み、とうとう準決勝まで行き、慶応に負けて、
三位決定戦で日大に負けて4位になりました。

7 試合での怪我

始めて入部した頃、空手には柔道では感じなかった、怖さが
あることを知りました。
柔道には締め技がありますが、練習ではほとんど立ち技が主
でしたし、万一、締められても苦しくなれば、どこかを叩い
てキブアップすれぱ、落とされる(失神させられる)ことは
ないのですが、空手では寸止めをしないで一発入れられたら、
瞬間に伸びてしまいます。
空手は素拳のままで練習も試合もしますが、相手に拳を当て
てはいけないことになっています。
当る直前で止める、これを寸止めといいますが、それを守る
ことが原則になっている訳です。
自分は寸止めを守っているのに、相手が止めないで攻めて来
たら大変危険なことになります。
そして、体験から感じたのですが、普通の人(もしくは空手
の弱い人)は、空手が本当に強い人には、絶対に・・・、絶対に、
逆立ちしても勝てないことを実感しました。

先の第二回関東選手権日大との三位決定戦の時のことでした。
日大の選手は、前の試合で、当校の選手に当てらていたので、
明らかに突きを止めないで、当てようとして来ていました。
私が先鋒(か副将)でしたが、あご(ボクシングで言うチン)に
当てられて、一瞬意識を失いました。
わっーと言う歓声の中に、「外山タテッー・・。」と言う言葉
を聞きながら意識が戻った時には、知らないうちに片膝を付い
ていました。
すぐ、立てば立てましたが、意識がぼけていては、そのまま立つと、また
負けると思い、しばらく間を置いて立って戦いましたが、後は、特に何も
なく戦えました。この時は、私が劣勢でしたが相手の反則で引け分けました。
(当てたのが反則です)

ところが、この試合で、当校の選手が、凄い突きを顔面に受け、前歯の
三本を折られるのです。
空手では、顔面を狙う時は、必ず鼻と口の間の「人中」という急所を狙いま
すが、それがよく口に当たるのですが、この時も歯に当たって一本が折れ、
一本は根元から抜け、一本が半分抜けた状態になってしまいました。
半分抜けたのが邪魔をして、口を閉められない状態でした。
ずく、口を開けたまま、マネージャーが歯科医につれて行きました。
当時は他の試合でも、時々、大怪我があったようです。(足の脛が折れたとか
・・)
最近の試合を見ると、顔面にはマスクを、拳にはサポーターをしており、
何よりも、スポーツ化してポイント制で、細かく点を取るような判定をして
いますので、怪我は少ないと思いますが、当時の試合は恐いところがあり
ました。

8 空手部の修行の結果

私は身長176センチで、体重は最高の時には85キロくらいありましたが、空手
をしてから体が締まり、75キロくらいになりました。(今でも体重は変わりません)
運動が苦手なのが治りました。
空手部の仲間と、運動部での腹を割った付き合いをしたために、一生付き合える
仲間が出来ました。
空手部は思ったよりは恐くありませんでした。(やがて、自分が部のヌシのよう
になったのですから、当たり前かも知れませんが・・・)そして、私はやっと、
どうやら一人前になれたようです。
でも、やはり、奥手だったようで、家業に入り、商売で飯を食っていけるかなと
確信出来たのは、ようやく30歳を過ぎてからでした。

9 空手部総括

番長タイプの者が入部すると、必ず、まともな人間になります。
番長だといって、どんなに強そうに、偉そうにしても、本当に強いというのが何
であるか解るからだと思います。
1年後輩に、そんな気配の者がいました。
空手では組み手と言って、柔道の乱取りのように自由に戦う練習がありますが、
そいつを可愛がってやろうと思って、組み手になると、必ず「おまえ、来い!」
と指名するのですが、「今日はお腹が痛い」とか、なんだかんだ理由を付けて、
とうとう、私から逃げ切った奴がいました。



当時、部員は5〜60人くらいおり、練習には常時30人くらいが参加していました。
ところが、最近の空手部の状況は悲劇的で、部員全員で7,8人しかいないそうで、
少しきつく叱ると、すぐやめるそうです。
意地がないのですね・・・、とても、残念なことです。
今、マスコミに、時々、若者の傍若無人ブリが取り上げられますが、そんな連中
に空手をさせると、必ずまともになると思います。
彼らは、甘やかされて育ち、ただ、我を強く出しているだけです。
本当に強い者に出会っていないのです。
もし、本当の空手の猛者に出会ったら、こんなに強い人が世の中にいるのかと再
確認することでしょう。
柔道でも、ボクシングでも同じだと思いますが・・・、違うのは空手は素手の拳
で練習も試合もしますので、一番恐くて効果があるのではないかと思っています。

以上

私と空手その2へ

ホームページ戻る