ジャイアント・馬場 その1
ジャイアント・馬場が1999年1月31日、六十一歳で亡くなりました。
突然、馬場の生まれ故郷の三条に取材陣が殺到しましたが、たまたま、馬場は私と中学校が一緒で、同学年でしたので、直接のお
付き合いはほとんどなかったのですが、丁度、その四月に行われる三条市の市長選挙に、馬場とも同級になったことのある中学校
同期の高橋一夫君が立候補しており、その前哨戦に、私が同期の方々のまとめ役をしていましたので、友達に頼まれてマスコミ相
手のお手伝いを少しだけさせて頂きました。
それらをお含みの上、お読みください。
その1 テレビ朝日の取材の内容
馬場と同じ町内で、四日町小学校が一緒だった滝口恵介君の話
「小学4,5年頃までは、普通の大きさだったんだがなあ。一年くらいで、急に大きくなったんだよなあ。」(注、その後の報道な
どを見ると、普通の大きさだったのは、もう一年前までのようです)
「女の子は大きい子に魅力を感ずるのか、近くに都会から来た家族がいて、そこに可愛い女の子がいたんです。
そこへ馬場がしょっちゅう遊びにに行くので、私も行きたかったんですが、馬場だけしか行けないんですよね。」
「彼は、後にクリスチャンになるのですが、その子がクリスチャンだったから、その影響を受けたんだと思います。」
「それから、中学一年の時、彼は絵が上手いのですが、休み時間によく似顔絵を画いていて、それが上手なんです。ところが、何時
も同じ女の子を画いているんですよね。
その子は結局、燕市へお嫁に行きましたがね・・・。」
山井信夫先生(76歳)のお話
「私は理科の担任で、中学の時に、週に4回受け持ちました。
初めて受け持った時、教室に入ったら、みんなが座っているのに、後ろの方で一人だけ立っている者がいるので、『お前、どうし
て立っているんだ。』と言ったら、みんながワッーと笑うんだよね。それで、近くに行って見たら、ちゃんと椅子に腰掛けている
んだけど、立っているように見えたんですよ。」
「当時、私の弟が馬場の家の近くに住んでいて、『兄さん、銭湯へ行くと、化けもんがいる。』というので、私も若くて、好奇心
があったので、土曜日の早い時間に、弟の近くの風呂屋へ行ったんです。そしたら、その「ばけもん」というのは、馬場のことで
して、彼が入って来て、『やあ、先生』と言ってその時に、背中を流してもらいましてね、今までも、その感覚が残っていますよ
。」
「他の客が入る頃に来ると、自分が入るとお湯が溢れて、減るもんだから、気を使って、必ず客の少ない早いめにか、終わり湯に
近い、遅い時間に入ると言っていました。」
「それから、通学路が私の通勤路と同じなものですから、しょっちゅう会いまして、並んで通学しましたが、足が大きいもんだか
ら、靴の後ろに足が1/3くらいはみ出るんです。
当時は今のようにコンクリート舗装ではなく砂利道だから、足の裏が痛くないかと聞いたら、『慣れていますから、何とも無いで
す。』と言っていましたが・・・。」
「それから、大変やさしいところがありまして、私が何かの用で、風呂敷き包みを担いで新潟へ行く時でした。たまたま、駅で馬
場に会ったんですが、彼が私の荷物を持ってくれまして、当時は列車が混んでいて、立っている客が多かったんですが、彼はその
結構重い荷物を肩に掛けたまま、肘を荷物台に掛けて、新潟まで、その格好で持ってくれましてね。割と重い荷物でしたし、時間
は4、50分くらいでしたでしょうか・・・。」
「中学三年の時に、修学旅行で日光へ行ったんですが、男体山のロープウェイに載ることになりました。なにしろ、生徒が600人
近くいるのに一回30人しか載れないんです。(当時は1クラス60名くらいで、それが10クラスありました)
順番を待つのに、みんなが整列していればいいのですが、子供たちのことですから、バラバラに遊んでいるところに、新婚さんな
んかが並ぶんですよね。
所が、生徒は順番が近づくと列に戻るものですから、新婚さんにしたら、予想外だったらしく、文句を言われまして、先生方が困
っていたんです。なかなか、執拗に文句を言う奴がいて、若い先生は「俺が相手をしてやっつけてやろうか。」なんて言うほどだ
ったんです。
そこへ馬場たちが来まして、『どうしたんですか?』と言うのですが、執拗に文句を言っていた新婚さんが、上から見下ろしてい
る大きな馬場を見て、驚いたらしく、その後、黙って引き下がっていきましたね。」「馬場は、そんな事とは知らず、『何かあっ
たんですか?』と言っていましたがね。」
中学校一年の時に同級生だった高橋一夫君の話
「私は背が高かったので、それまではズーッと、何時もクラスで一番後ろだったのですが、このクラスになったら、私より高い馬場
がいて、もう一人、その後、バスケットボールの全日本の選手で、オリンピック代表にもなった横山忠男君もいたため、三番目にな
ったんです。」
(横山君は、後に、立教大学のバスケットボール部でした。私の背丈が176センチですが、高橋君は私より少し背が高いので、178セン
チくらいでしょうか・・・)
「その後、大学時代に、馬場が巨人軍にいた頃に電車の中で見かけましたが、さっき先生が言われたように、荷物棚に肘を掛けてい
て下を見てなにか、ぼそぼそ話しをしていました。」
「その後、大分経ってから、私が家業(三条でも大手の金物問屋ですが・・・)に入り、出張の帰りに、上野駅で列車に乗ろうとしたら、
人だかりがするので、よく見ると、一等車(今のグリーン車のこと)に彼が乗っていまして、私は二等車の自分の席に荷物を置いて、
彼に会いに行きましたら、『おお、一夫か。まあ、ここへ来いよ。』と言いまして、随分鷹揚で、以前の感じと変わっていましたね。
列車の前の便で外人選手を前橋へやっていて、これから自分も行くところだと言っていました。」
「巨人軍の時に電車で会った時と、感じが随分変わっていましたね。」
とのことでした。
2月後半にテレビ朝日の取材を受けた時の話は以上のようでした。
この中の滝口君は県会議員二期勤めた人ですし、高橋君は4月の市長選に立候補を表明している人です。
この時のテレビ朝日のアナウンサーは衣川さんと言われたようですが
「こちらへ来て取材していて、感じたんですが、何か、皆さんが、暖かーい感じがするんですよね。」と言っておられました。
まだ、東京と比べれば、田舎のよさが残っているのでしょう。
その後、馬場と付き合いのあった、他の友人からも、いろいろ話しを聞きましたので、その2として、いずれまとめたいと思っ
ています。
(その後、高橋一夫君は現役二期目の相手候補を大差で破って市長に当選して、現在、名市長としての評価を得ています。
13/6/18追記)
以上