秋水について研究なさっているお方から、このページを御覧になられて次のようなメールを頂きました。 掲載のご承諾を頂きましたので次にご紹介します。 資料から疑問の解消のお役にたてればと思いメールいたします。 二十年七月七日に行われた「試飛行」は秋水隊(横須賀海軍航空隊312空)の柴田司令の命令により甲液(過酸化水素) を三分の一だけつみ、高度五千メートルまで上昇する予定でした。 午後4時55分、滑走開始、滑走距離220メートルで離陸成功しました。 しかし、27度で上昇途中高度450メートル付近でエンジン停止。 トラブルが生じた場合、事前の打ち合わせでは海上に不時着する予定であったが犬塚豊彦大尉は機体を失うのを良しとせず、 滑走路への帰投を試みます。 上昇反転後、二度エンジン再起動を試みるもかなわず、甲液を非常投棄しながら滑走路を目指します。しかし、甲液がコック ピット内に侵入し視界が閉ざされたのか甲液が思うように投棄されず予想以上に沈下率が大きかったためか、第四旋回が遅れ 滑走路を目の前にして施設部監視塔に右翼端が接触し不時着大破、犬塚大尉は翌日殉職されました。 この「試飛行」の模様は空技廠(一技廠)により16ミリフィルムに撮影されていたため後日これを映写し事故原因の検討が行 われました。結果、燃料取り入れ口がタンク前方下部に取り付けられていたため、秋水が急角度で上昇中燃料供給が断たれた ためのエンジンストップが事故原因とされ、後日調査委員会席上で三菱設計陣が厳しい非難にさらされます。 しかし、312空柴田司令が「狭い追浜飛行場を選んだこと」「燃料を三分の一しか積まなかったこと」が事故原因であり全 ての責任は自分にあると宣言し、調査員会は終了しました。 この時点で、横須賀にはニ機の機体と一台のエンジン、共同開発者の陸軍柏基地に一機の機体とエンジンがあり海軍側では 八月十五日の再試験を予定していたが整備が間に合わず終戦となりました。 なお、「試飛行」を撮影した16ミリフィルムは終戦時、焼却処分となったようです。 秋水は量産機とならなかったため資料が非常に少なく、現在でも謎とされていることが 沢山あります。多くの方が興味を もって、資料の発掘がされ真実が解明されることを願っています。 メールを下さり、掲載を快くご承諾くださいましたSさんに心から御礼を申し上げます。 15/11/8 上記のメールを下さったSさんから再度ご連絡があり、秋水会というところで生存なさっている証人から聞き取り をして「幻の有人ロケット秋水」としてビデオテープにまとめたとのご連絡を頂きましたのでお知らせします。 幻の戦闘機の解りうる全貌が記録されているものと思いますのでご紹介します。「秋水会」のホームページへ