秋水について

掲示板に書き込みを頂いていたのですが、その掲示板がCOOLさんの都合で廃止なりました。
掲示板にカキコ頂いた中から参考になるお話と私とのやり取りをこの頁にまとめました。
これからは、ご意見などありましたら是非メールでお寄せ下さい。

gel
2002年11月16日22時25分
秋水のグーグル検索できました。

違う番組で、秋水の飛行テストフィルム見ましたよ。
今見てもすごかった。ありえねー角度で離陸していくし。
当時はかなり感動しました。


2002年11月17日00時13分
gelさんこんにちは

秋水はロケットエンジンでしたので、燃料消費率が多いので巨大な燃料タンクを積んでいましたが、燃料消費が多かったことと、
急角度の上昇で激しいGのために燃料がタンクの中で偏ってしまい供給がストップして墜落したと言われています。
それにしても、当時のドイツの独創性は凄かったと思います。
50年以上前に、有人ロケット戦闘機を実戦で使ったのですから・・・。

2002年11月23日00時49分
私は山形出身なのですが、以前テレビで秋水を見た時には
空中で爆発したとなっていたはずです。
山形でも生産に関わっていたみたいですので、こちらでの実験では爆発し、結局上手く行かなかったのでしょう。

あんまり関係ないのですが、秋水の工場があったおかげで、戦後の山形の工業は以外とレベル高かったらしいですよ。
本当かどうかは知りませんが。

もう一つどうでもいい話、この秋水を作ってた工場は今は無く、その跡地に高校ができてます。女子高です。(^。^) 

2002年11月23日11時12分
私が以前読んだ記録と違いますね。
私は「エンジンが停止したのは急角度だった事と加速度が強かったために、燃料タンク内の燃料が後方に偏り、供給がストップ
したためと言われます。」と以前、何かで読んだ記憶があるのですが・・・。

>あんまり関係ないのですが、秋水の工場があったおかげで、戦後の山形の工業>は以外とレベル高かったらしいですよ。
本当かどうかは知りませんが。

これはあるかも知れませんね・・・。富士重工は中島飛行機が変身したものだそうですし、三菱重工もゼロ戦の技術が生きてい
るはづですから・・・。

空耳
2003年5月19日23時54分
大戦末期、比叡山にB29撃墜のための有人ロケット基地が建設中であったという
話をごぞんじでしょうか?
それが結構、信憑性が高そうなのです。


比叡山にカタパルトをおき、有事ロケットを打ち上げ、B29を高高度から撃墜。
そのあと、琵琶湖に着水し回収という計画です。
サイト作者は医者で患者の妄想と片付けていたそうです。ところがあとで新聞をみてびっくり。比叡山の座主の自伝でその話が
載っていたそうです。

それでは何ですので検索をかけてみたのですが見つかったのは1件だけ。
http://www.asahi.com/osaka/17/010202.html
比叡山延暦寺学問所長のエッセーです。
人間ロケット試験打ち上げの日が終戦の日で中止になったそうです。

残った資料はぜんぶ焼却されたそうです。

どうやら本当の話ではないかと今は思っています。
しかし、こんな話、戦争関連の書籍を読んでも見た覚えがありません。
結構貴重な証言ではないかと思うのですが。

比叡山のロケットの役割を考えると秋水が考えられます。
試験打ち上げのロケットとは秋水だったのでしょうか?
それだけで秋水の今までの評価が変わりますね。 

2003年5月20日21時03分
空耳さんこんにちは
外山です。

>大戦末期、比叡山にB29撃墜のための有人ロケット基地が建設中であったという
>話をごぞんじでしょうか?
>それが結構、信憑性が高そうなのです。

お書きになったURLから各ページを拝見しました。
この情報は確かなようですね。

>どうやら本当の話ではないかと今は思っています。
>しかし、こんな話、戦争関連の書籍を読んでも見た覚えがありません。
>結構貴重な証言ではないかと思うのですが。

私も昔、結構関連の本を読みましたが、この件を書いた記事を読んだ事はありませんでし
た。

>比叡山のロケットの役割を考えると秋水が考えられます。
>試験打ち上げのロケットとは秋水だったのでしょうか?
>それだけで秋水の今までの評価が変わりますね。

ただ、私が書いたように秋水は当時あくまでも試験段階だったですよね。
ですから、ここでも実用になるかの試験をするつもりだったと想像します。
でも、非常に貴重な資料だと思っています。
よく、捜しだされましたですね。

2003年5月31日01時23分
外山様のHPによれば秋水の試験飛行は7月に横須賀で行われ失敗したとのことです。
比叡山のお坊様のエッセーによれば8月の終戦記念日に打ち上げ予定だったとなっています。
失敗からわずか一ヶ月で打ち上げ予定だったことになります。
秋水を修理したのか、別に試作機があったのか、、、、

ただ試験飛行というのが何かわかりませんから、単純にカタパルトから何かを打ち上げられればそれで良かったのかもしれませ
ん。。。。と書くと夢がないですね。

三菱重工業とかにメールを送ってみましたが返事があろうはずもなく、もはやここまでかなと思ってます。
何しろ、この生き証人の方がお亡くなりになれば全てが闇の中になってしまいます。

2003年6月2日13時16分
空耳さんこんにちは
外山です。

次の件で私の考えを書いて見ます。
>外山様のHPによれば秋水の試験飛行は7月に横須賀で行われ失敗したとのことです。
>比叡山のお坊様のエッセーによれば8月の終戦記念日に打ち上げ予定だったとなっています。
>失敗からわずか一ヶ月で打ち上げ予定だったことになります。
>秋水を修理したのか、別に試作機があったのか、、、、

木製で、搭乗員が死亡するくらいの墜落事故なら、1か月で再生は出来なかったろうと思いますので、私は
試作機は一台だけではなかったと想像しています。

>ただ試験飛行というのが何かわかりませんから、単純にカタパルトから何かを打ち上げられればそ
>れで良かったのかもしれません。。。。と書くと夢がないですね。

また、如何にロケット機とは言え、翼があって滑空もする機体ですから、ある程度の滑走路がないと飛び立
てないと考えると、比叡山には滑走路が造れないはづですからカタパルトで・・・、ということになったものと想像します。

>三菱重工業とかにメールを送ってみましたが返事があろうはずもなく、もはやここまでかなと思っ
>てます。
>何しろ、この生き証人の方がお亡くなりになれば全てが闇の中になってしまいます。

でも、この前に御紹介下さった二つのホームページの記述と・・・、少なくともこの掲示板の記述がその記録になったことに
なりますね・・・。
また、お気づきのことを書き込みをお願いします。 

ホームページ戻る