先輩の部員が空手部の部室へ入ります。
先輩は、軽い声で「オス」と言います。
たむろしていた後輩が元気の大きな声で、一斉に「オス」で応えます。
空手部では、道で出会っても、朝でも晩でも、あった時も、別れる時も挨拶は、全て「オス」で済みます。
大学の空手の大会に行くと各大学の先輩が訪ねる度に、あっちでもこっちでも「オス」「オス」の、やり取りが聞こえます。
それも学校により言い方が少しづつ違い、それらの発音の違いに空手部の伝統を感じます。
ある先輩は「うちの後輩の方が可愛い声だな。」なんてヒイキ目の評価が出たりします。
仲間との、葉書とか手紙にも同じように使い、拝啓、敬具の代わりにも「押忍」と書きます。
ところが、ある国文に詳しい方に、押忍と書いてオスとは絶対に読みません、と言われたことがありました。
それから推測するに、言葉が先にあって、適当な意味から当て字されたものと推測しています。
空手には昔から「空手に先手なし」と言う言葉があります。
これは空手が武術だった頃に、修行した者の心構えを諭した言葉であると思っていますが、今では試合も行われるようになりましたので、神秘性もなく、スポーツとしては先手を取られたら負けることもありますので、この言葉も死後になりつつあるのではないでしょうか。
では、オスの当て字が何故「押忍」になったかですが、先の空手に先手なしの精神を表す言葉として当てはめられたのではないかと想像します。
「怒っても、手を出してはいけません。押えて忍びなさい。」という意味で・・・。
そして、もう一つ考えられるのが空手の歴史に関することです。
空手が沖縄で発達した理由として、鹿児島藩が沖縄を統治した時に、反乱を恐れて武器を全て没収し、持つ事を禁じたそうです。
ですから、武器を持たないで戦うための手段として、中国渡来の棒術とか、ヌンチャク、サイ、トンファーなどを使った武術が密かに鍛錬されたといわれますが、そんな中でもっとも発達したのが空手だったと思われます。
空手もまた密かに修練されたようで、書物には一人で鍛錬する秘伝が数多く紹介されています。
このような沖縄での空手の発達の仕方の中にも「押忍」の精神が潜んでいるように感じています。
私の後輩で二年後に主将をした者が、土木科出身で一流の大企業に就職しましたが、その後に我が家に来た事があります。
その時に、彼が次のように言っていました。
「入社試験の時に、自由論文がありましたが、何を書いて良いか解らなかったので、時間一杯使って用紙に大きく『押忍』と書いて出しました。面接の時に審査官が、その用紙を見ながら『「押忍」か、いい言葉だなあ』と言って採用になりました。」