秋水について 一週間ほど前でしょうか、NHKのテレビで終戦当時に開発された日本のロケット戦闘機「秋水」について の放映がありました。 この放送を詳しく見ていた訳ではありませんが、秋水について私なりの思い入れを次にお知らせします。 (14/1/2記) 第二次大戦中のドイツは新兵器の開発で先行していおり、大戦中にジェット機として唯一実戦参加した メッサーシュミットMe262という双発のジェット戦闘機があります。 スピードがあったために戦闘能力はあり、実際に相当の活躍をしたようですが、欠点もあり、燃料消費 率が悪かったために滞空時間が少なく、従ってやむを得ない着陸の際などに撃墜されることがあったと 言われています。 また、メッサーシュミットはMe163というロケット戦闘機も開発しており、これも実際に戦闘に参加して いますが、これはジェット機よりも更に航続距離が少なく、極端に言うとほとんど垂直に上昇して相手 に一撃を加えて降りてくると言う感じだったようです。 ですから、B29などの編隊が来た時に急上昇して仰撃するのに適していたそうですが、相手もこれらの欠 点を知ってからは、攻撃進路をMe163が配置してある飛行場を避けて通るようになり、そのために、即ち 仰撃の機会も無くなったと言われています。 このロケット戦闘機も大戦中に実線参加した唯一のロケット機だったのですが、その後の戦争でも有人 ロケット機が参加した話を聞きませんので、未だに実戦参加の唯一の有人ロケット機ではないかと想像 しています。 大戦中に、ドイツと日本は相互に兵器などの技術的な交流をしたそうで、潜水艦で日本の技術将校が ドイツを訪問して交流をしており、その中でドイツが援助したのが、このMe163ロケット戦闘機とMe262 ジェット戦闘機の設計図の供与だったのです。 その設計図を元に日本向けに改良にして開発したのが、Me163に対するのが秋水であり、Me262に対する ものが橘花だったのです。 (日本からは航跡を残さないので発見されにくいと言われた酸素魚雷の技術の提示がされたようですが、 ドイツで実用化されることはなかったそうです) 寸法はロケット戦闘機のMe163が全長5.92m、全幅9.3mに対し、秋水全長6.05m、全幅9.5mでしたし 、ジェット戦闘機のMe262全長が10.56m、全幅12.5mに対し、橘花が9.25mと10.0mでした。 ジェット機の橘花も一回だけ試験飛行に成功して、二回目で破損しておわったようです。 そして、秋水の初飛行を実際に見た人のことが、三条新聞の14/1/1号に載っていましたので次に引用し ます。 ここに語っておられる三条の栗山模型店のご主人は大正14年生まれで今年76歳とのことです。 「19年に千葉県の館山航空隊に入隊。初期訓練を受けたあと、神奈川県の寄越すが田浦航空隊に入隊し て航空業らいの整備を学び、横須賀航空隊にはいぞくされて終戦を迎えた。 戦中は大好き な飛行機に囲まれて過ごし、日本初のロケットエンジンの戦闘機して開発された「秋水」の飛行テストも 目の前で見た。昭和27年7月六日、テストを翌日に控えた「秋水」のエンジンテストの風景をわずか10メ ートルの至近距離で見ていた。 よく七日、テスト飛行を見ようと航空隊の飛行場に向った栗山さんの頭上をロケット燃料を漏らしなが ら力無く滑空して行き、そのまま海に落ちて炎上した。」