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空中戦 生れたきずな

(日経新聞2002/2/27号より)


1942年セイロンで撃ち合った日英パイロットが再会     原田 要

ロンドンから南西へ三時問。車はドーセット州シェルボーンに着いた。レストランで軽めの昼食をとり
、住宅街に向かう。白壁のこざっぱりとした一軒家。そこにジョン。サイクス氏がいるはずだった。

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とどめはさせなかった

サイクス氏と私は第二次大戦中、セイロン(現スリランカ)上空で、敵昧方に分かれ激しい空中戦を展開
した。
それから約六十年後の二〇〇一年八月六日。八十四歳になった私は初めて英国の土を踏み、彼と「再会」
しようとしていた。
一九四二年四月五日朝。
南方作戦でインド洋を西進中の航空母艦「蒼竜」に搭乗していた私たち零戦部隊に、出撃命令が下った。
「英国軍がセイロンのコロンボ基地に有力部隊を集結させている。敵地上空を制圧し、昧方の攻撃を支
援せよ」。
日の出三十分前、セイロン島の南方約百二十浬から、母艦を飛び立った。目的地に着くと、敵も迎撃態
勢を整えていた。双方合わせて数百機。空中戦が始まった。
激しい攻防の中、一機の複座式戦闘機「フルマー」が視界に飛びこんできた。すかさず背後に回り込み、
七・七ミリ弾を発射した。相手は機体をスッと横に滑らせ、狙いが絞れない。やるな--。必死に撃ち続
けた。
ようやくフルマーが煙を上げ、水田に不時着した。とどめを刺せると思った。だが、その時は深追いし
て無駄な弾を使うより、他の戦闘機を撃墜するのが先決だった。
それに、攻撃力を失った相手を撃つことには抵抗があった。私は操縦かんを引き、戦列に戻った。

×××

殺人ロボットの素顔

私は一九三三年、旧制長野中学を中退して海軍に入隊した。パイロットになりたいと、操縦練習生に志
願。
厳しい訓練と怒声の毎日に、自分には才能がないと思ったときもあった。卒業時の二十六人の同期中、
首席に選ばれた時は、本当にうれしかった。
だが戦争は悲惨だった。倒すか、倒されるかの極限状況。ひたすら戦いに明け暮れた。私たちは次第に
攻撃ロボツトのようになっていた。事実、英国軍は日本軍のことを「殺人ロボット」と呼んでいたとい
う。
日本軍の攻勢も長くは続かなかった。セイロン島攻撃からニカ月後、私はミッドウェー海戦に参加。
日本軍は壊滅的な打撃を受けた。帰るべき母艦を失った私は、駆逐艦に拾われるまでの四時問、フカの泳
ぐ海にプカプカ浮かんでいた。
その後、十月のガダルカナル空戦で負傷し、前線を離れた。敗戦を迎えたのは、北海道の千歳だった。
昨年三月、英国のカメラマン、マーカス・パーキンス氏から「会いたい」と連絡が入った。彼は世界各
地で戦争問題を取材しており、ボランティアで戦争の記憶を今に伝える手助けをしている西崎智子さん
から、存命中のパイロットである私の名を聞いたという。
最初はためらった。一九七二年から幼稚園を経営し、静かに暮らしている。
英国では、日本軍の英国人捕虜の扱い方などを巡り、今も反日感情が残ると聞いていた。だが「殺人ロ
ボットのレツテルに隠れた日本人の素顔を知りたい」という説得に、心が動いた。

×××

あの日本人に会いたい

長野に取材に来たパーキンス氏は、思いがけないことを私に提案した。「かって戦った相手に会いたい
と思いませんか」。私の脳裏には、すぐ候補者が浮かんだ。セイロンで戦った腕利きパイロツト。
私は彼に当時の状況を説明した。
しばらくすると、パーキンス氏から「あなたと戦ったパイロツトが見つかりましたよ」と連絡が人った。
彼は帰国後、私に取材した内容を新聞記事にした。それを目にとめた戦史研究家クリストファー・ショ
アーズ氏が、ジョン・サイクス氏を割り出した。空軍中佐まで昇進した退役軍人で八十二歳。彼の戦友
は私と会うことに強く反対したらしい。だが「あの時、相手は私にとどめを刺さなかった。ぜひ彼に会
ってみたい」と押し切ったそうだ。

私たち夫婦はサイクス家の門をくぐり、庭から彼の待つ居間に人った。
立っていたのは、仕立てのよい服に身を包み、白髪をオールバックに整えた
紳土。初めて見る「敵」は、とても優しい目をしていた。
「ヨウコソ」穏やかな口調でサイクス氏は私に握手を求めた。
見ると片手を手すりにかけている。
普段は車いすで、全く歩けないという。涙があふれてきた。
彼の目もうるんでいる。殺さないでよかった。しばらく言葉が出なかった。
その後の話題は、やはり戦争に関することが多かった。
サイクス氏は英国人らしく、口調もソフトだ。
戦争時の彼の写真も見せてむらった。ハンサムだ。「昔はモテたの」と奥さん
が説明したら照れていた。
私にはどうしても聞きたいことがあった。私の攻撃を、機体を横に滑らせなが
らよけた技術の秘密についてだ。
彼はこともなげに言った「ああ、あれは君の撃った弾が操縦かんに当たって、
機体の制御がきかなくなっただけだよ」お互い笑いが止まらなかった。
今、私は園児たちに、戦争の罪悪や、命と平和の尊さについて語っている。
まだ幼いので、どれだけ理解できているかは分からないが、彼らが私の話をい
つか思い出してくれればいいと思っている。(はらだ・かなめ浅川学園理事長)


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